

Type Interview 11 / Type Story : ハイル・ラトリッジ (INFP)
はるみ :こんにちは、ハイルさん。本日はお時間をいただきありがとうございます。 今回のインタビューでは、書籍に載っているような研究理論そのものではなく、「タイプの世界」に関わる人々やそのつながり、背景にある感情や関係性を大切にして、記録に残していきたいと考えているんです。 ハイル :それはとても素晴らしい取り組みですね。はるみさんのタイプは何ですか? はるみ :私はENFJです。 ハイル :私はINFPです。 はるみ :それは素敵ですね。 私はINFPタイプの方にとても親しみを感じています。 ハイル :ありがとうございます。 私の活動に関心を持ってくださる方がいることは、とても励みになります。 実のところ、タイプに関する分野は今、少し厳しい状況にあります。 マイヤーズ=ブリッグスを含めて、今は少し注目されづらくなってきていて、それにはいろいろな背景があると思います。 人材育成や学びの世界全体が、マイヤーズ=ブリッグスから離れていっている流れがあるのです。 私にとってはこのツールが最初に出会ったものであり、大切な存在ですから、それは少し寂しくもあり
8月26日


Type Interview 10 / Type Story : イアン・ボール (ISTJ)
今年92歳を迎えるISTJのイアン・ボールさんにインタビューをしました。 オーストラリア心理タイプ協会(AusAPT)の頼もしい存在であり、タイプの認知を広める活動に貢献されたイアンさんの人生の一端を記録できたことを、とても嬉しく思います。 イアンさんにとって、自分のタイプを知ることはとても納得のいく経験で、特に驚きはなかったそうです。 60年連れ添った奥様との出会いも、ごく自然なものでした。結婚における波長がぴったりだったのだと言います。 私がオーストラリア心理タイプ協会に関わっていた間、イアンさんの名前はたびたび会話に上りました。 なお、この協会は30年以上の活動を経て、来年正式に幕を下ろす予定です。 はるみ: ご自身のことや、ご家族のことを少し教えてください。 イアン: 私は1933年に生まれました。家族構成は両親と、私よりずっと年上の姉が二人。私は末っ子で、いわゆる“甘やかされた末っ子”でしたね。 はるみ: 今、お年を計算してるところです。おいくつなんですか? イアン: 今年で92歳になります。 はるみ: えっ、そんな……!..
6月14日


Type Interview 9 / Type Story : メレディス・フラー (INFP)
実り多き人生。 INFPタイプのメレディス・フラーは、45年間連れ添った魂の伴侶との豊かな出会いを重ねながら、実りある人生を歩んできた方です。 モデル、女優、映画・ドキュメンタリー制作者、著者、心理学者、ミステリーパーティーの主催者、そして愛犬家。 オーストラリアの心理タイプ協会(AusAPT)の運営委員としてご一緒している仲間でもある彼女の歩みを知り、あまりの多才ぶりに心から驚かされました。 インタビューでは、運命のパートナーとの出会い方をはじめ、メレディスが見出した「性格タイプと家庭内暴力の関係性」、そして「健全な社会のために必要な要素」など、幅広いテーマに触れています。 メレディスについてもっと知りたい方は、こちらをご覧ください:👉 https://lnkd.in/gibjePQi メレディス・フラー はるみ: ではメレディス、ご自身のご家庭について教えてください。 メレディス: 母はINTPタイプで、シングルマザーとして私を育ててくれました。 生活保護を受けながらの暮らしだったので、経済的にはとても貧しかったのですが、本や読書、探求
5月29日


Type Interview 8 / Type Story : フィル・カー (INTP)
フィル・カー(INTP)の年表ショット はるみ:はじめてタイプに出会ったのは、いつ頃でしたか? フィル: おそらく1991年だったと思います。 タイプ記述の紙を渡されて、最初の一文を読んだときの衝撃は今でも覚えています。 たしか「私は、宇宙を理解したいという欲求を持つ深い思索者である」といった内容だったと思います。 「まさに自分だ!」と感じました。 「どうしてこんなに自分のことが分かるんだ?」と。 そこからですね、「自分は変わり者なのか?」とか「何かおかしいのか?」という思いが消えていきました。 「これが自分なんだ」「こういう特性を持っているんだ」「そして、自分のような人が他にもいるんだ」と実感したんです。 本当に目が開かれるような体験でした。 自分自身をそのまま受け入れるという意味で、とても安心できる経験でもありました。 はるみ:そのワークショップのファシリテーターはどなたでしたか? フィル : 名前はシーラかステラだったと思います。 今でもどこかでお礼を伝えられたらと思っていますが、その後、転職もして連絡は取れていません。...
5月6日


Type Interview 7 / Type Story:マーガレット・ハーツラー(ENFJ)
はるみ :マーガレット、これまで私がタイプに関するインタビューをしてきた中で、あなたの名前が本当にたくさん出てきたんです。 それで、「これは絶対にインタビューしなきゃ!」って思ったんですよ。 周りの方たちからも、「マーガレットはENFJタイプで、本物のティーチャーだよ」ってよく聞きます。 マーガレット :本当にその通りだと思います。 私の最初のキャリアは高校の数学教師でした。 とても自然な流れでしたね。 最初の夫はINFPタイプだったのですが、彼があるカンファレンスでタイプ理論に出会ったんです。そこから私もタイプについて知ることになりました。 その後、最初の結婚生活がうまくいかなくなっていると感じたとき、「それなら心理学を本格的に学ぼう」と思ったんです。 大学に戻ってカウンセリングの学位を取りました。修士論文では、「ルームメイトの満足度と性格タイプの関係」について研究しました。 当時はノースカロライナ州に住んでいて、夫が大学教授だったので、その大学でリサーチを行いました。 その後、私たちは別居することになり、私はフロリダ大学で博士号を取得すること
4月20日


🎤世界のタイプ著名人インタビュー集!
世界で活躍するタイプの専門家たちは、自分の性格タイプをどう理解し、どう活かしてきたのか? 実際に長年タイプ研究に携わった方の声を聞くことで、タイプがどのように人生やキャリアに影響を与えているのかがリアルに感じられます。 ▼ この記事では、16Type株式会社 代表取締役 権藤晴美による貴重なインタビューを一覧でご紹介します。気になるタイプから、ぜひ読んでみてください。 16Type株式会社 代表取締役 権藤晴美 ( Linkedin) https://www.linkedin.com/in/harumigondo/recent-activity/articles 他の記事も要チェック✅ 象者 タイプ 📝 英語(原文) 📝日本語 Roger Pearman ロジャー・ペアマン INFP Type Interview 1: Roger Pearman's Type Story Type Interview 1 / Type Story : ロジャー・ぺアマン( INFP ) Bob McAlpine ボブ・マカルパイン ISTJ Type Int
4月14日


Type Interview 6 / Type Story : サンドラ・クレブス・ハーシュ (ENFP)
はるみ: あなたのストーリーを聞かせてください。 サンドラ: 私はペンシルベニア州で、STJの家族の中で育ちました。 家族の中に私のような人は誰もいませんでした。 兄弟や両親とはとても違うと感じていました。 母はESTJ、父はISTJ、兄はESTJ、姉はISTJでした。 そして、そんな中にポツンと私—ENFPの私がいたんです。 小学3年生のサンドラ メアリー・マコーリーによると、イザベル・マイヤーズはよくこう言っていました。 「あなたがチャンネル4で話していて、相手がチャンネル5で聞いているなら、チャンネルを変えるべきなのはあなたの方よ。」 そして、私はSTJの家族の中で育ったので、自分とは異なる世界に適応しやすかったのだと思います。 私のキャリアのほとんどはTJの組織の中で過ごしました。 30歳のとき、私はミネソタ州に引っ越しました。 到着したときは、7歳、4歳、3歳の3人の子どもを育てる専業主婦でした。 地元の図書館で書評を書いたり、授業をしたりといったパートの仕事をしていました。 ミネソタでは知り合いが誰もおらず、長く住むつもりもありません
3月21日


Type Interview 5 / Type Story : メアリー・マクギネス (ENFP)
はるみ: ENFPのベテランタイプトレーナーとして、タイプの世界に足を踏み入れたばかりのENFPにどのようなアドバイスをしますか? メアリー: もしタイプに関する仕事をしたいのであれば、きちんとしたトレーニングを受けることですね。そして、何をするにしても、しっかりとやること。 世の中には、手を抜いたり、簡単に済ませたりする人が本当に多いと思います。短期間で、手軽に終わらせようとする人も多いです。 でも、しっかりとした仕事をすれば、人々はそれを評価し、価値を感じてくれます。 そして、あなたを推薦してくれるようになります。 私はこのビジネスを始めて最初の20年間、一切広告を出しませんでした。 すべて口コミだけでした。 最終的には、毎年20の認定プログラムを運営するまでになりました。 1つのプログラムには少なくとも20人、多い時には35人が参加していました。 もう一つ、ENFPにアドバイスしたいのは、財務管理に気をつけることです。 ENFPは、つい他の誰かにお金の管理を任せてしまいがちです。 その結果、使いすぎてしまったり、マーケティングを忘れてし
2月23日


Type Interview 4c / Type Story : ジョン・ビービー( ENTP )
ジョン・ビービー (4歳) はるみ:誰があなたにタイプを教えたのですか? それはどこで、いつのことですか? ジョン: まず、これは偶然の一致とも言える話です。 私は幼い頃、中国で両親と一緒に暮らしていました。 父(ESTJ)は軍の駐在武官補として派遣されていました。 しかし、母(INFJ)が父と離婚することを決め、1948年11月に私を連れてアメリカに戻りました。 私は当時9歳でした。 私たちはプリンストン(ニュージャージー州)に落ち着きました。 すると、まるで偶然のように、母がEducational Testing Service(ETS)で仕事を見つけたのです。 このETSは後にMBTIを出版することになる機関ですが、母が働いていた当時はまだMBTIを出版していませんでした。 では、誰が私にタイプを教えたのか? ある意味では、私の両親そのものが「タイプの悲劇」でした。 内向的直観(Ni)の母は、外向的感情(Fe)を補助機能として持っていました。 一方、外向的思考(Te)の父は、補助機能として内向的感覚(Si)を持っていました。 二人はまさに「
2月3日


Type Interview 4b / Type Story : ジョン・ビービー( ENTP )
ジョン・ビービーの8つの機能モデルの図 8つの心理機能態度を3つの言葉で分解 はるみ : 第三レベルに到達するためには、例えば内向的感情(Fi)の場合、「価値を確立する」段階に至るには、内向的感情だけでは不十分だと思います。 内向的思考(Ti)、外向的感情(Fe)、外向的思考(Te)も加える必要があります。 ジョン:他の三つの機能も関与する必要がある、ということですね。あなたは私より一歩先を行っていますね。 しかも、それはきっと正しい。 私にはそれが正しいと感じられます。 私がそのことを説明するとすれば、機能の第一の状態とは、私たちが実際にお互いを見たときに目にするものです。 この第一レベルこそが、初対面のときにお互いを好きになれないことが多い理由なのです。 例えば、誰かに会って、「まあ、悪くはなさそうだけど、あの服装は耐えられない」とか、「なんであんなことをするんだろう?」と思うことがあるでしょう。 私たちは皆、こうした偏見を持っています。 しかし、誰しもが、あまり好かれない傾向のある「タイプ・ペルソナ」を持っているのです。...
1月31日


Type Interview 4 / Type Story : ジョン・ビービー( ENTP )
ジョン・ビービーがカール・ユングをINTJと考える理由を語る、魅力的なインタビュー! 私はこの意見に驚き、しばらく言葉を失いました。 そしてまだその内容を消化中ですが、こちらがジョン・ビービーとのインタビュー第1部(全3部)の一部です。 ジョンの意見に賛成なのは、タイプの実践者は心理機能を認識できるようになる必要があるという点です。 それは、多くの練習と内省を通じて得られるものです。そしてさらに、それを繰り返すことで身についていくのです。 ✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼┈┈┈┈✼ はるみ: このインタビューで聞きたい質問のリストを送りましたよね…。 ジョン: はい、目を通しましたが、あまり準備しませんでした。 どちらかというと、その場で出てくるものを見るのが好きなので、それが私のタイプを物語るかもしれませんね。 はるみ: ボブ・マカルパイン(ISTJ)についてですが…。 ジョン: ボブは本当に素晴らしい形で私を気遣ってくれました。 私には軍人の父親(ESTJ)がいました。彼 は大隊指揮官であり、朝鮮戦争で
1月23日


Type Interview 3 / Type Story : エリザベス・マーフィー( INFP )
タイプトレーニング中の集合写真(2列目の右から2番目がエリザベス) タイプと初めて出会ったきっかけは何ですか? 1982年頃のことです。当時、夫と私は幼い2人の子どもを育てており、夫がヒューストンに配属されました。そのため、近くで通える学校を探していたところ、ヒューストン大学が近くにあったのでそこに入学しました。 私は博士課程の最終段階にあり、成人と子どもの相互関係を測定するためのツールを探していました。 その時、私の教授が匿名で贈られたという本を持っていました。それが、デイビッド・ケルシーの『Please Understand Me』でした。 教授はその本を読んで、自分の研究に適しているかどうか確認してみてはどうかと提案してくれました。私はその本を読み始め、最後のページにたどり着く頃には、タイプという概念に恋をしていました。 特に印象的だったのは、本の付録部分でした。そこにはすべてのタイプの詳細な説明が書かれていて、私にとって驚くべきものでした。それは、私の人生経験と見事に一致し、それを裏付けるものでした。 本の説明を読むたびに、「あ、この人に
2024年12月25日


Type Interview 2 / Type Story : ボブ・マカルパイン( ISTJ )
私は、ユングの機能(Jungian Functions)とジョン・ビービーの「8つの機能に関連する元型エネルギーのモデル」を私に教えてくれたボブ・マカルパインにインタビューを行いました。 当時、私にとってそれは考えもしないことでしたが、日本で認定コースを開催することを最初に提案してくれたのもボブであり、そのおかげでその方向に考え始めるきっかけを得ました。 長年にわたり、ボブの寛大さと、タイプや機能の認識を広めることへの誠実な献身に深く心を打たれてきました。このインタビューを行い、編集することは私にとって本当に喜びでした。 タイプを初めて知ったのはいつですか? 私は1983年にオットー・クローガー(ENFJ)からタイプを教わりました。 私は当時、Armed Forces Staff College(米国軍事大学校)に所属していました。毎年、オットーがMBTIについて2時間のプレゼンテーションをするために招かれていました。 それは非常に楽しい2時間でした。オットーはとてもエネルギッシュで、元気を与えてくれる人で、冗談をたくさん言っていました。...
2024年12月17日


Type Interview 1 / Type Story : ロジャー・ぺアマン( INFP )
少期の思い出について教えてください。 私の生まれ育った家庭は、私のタイプとは非常に対立的でした。 シングルマザーに育てられましたが、彼女は非常に厳格なISTJタイプで、その傾向は今でも続いています。 また、暴力的で酒浸りの父親とのトラウマ的な記憶もあります。父は早い段階で家族を去りましたが、その後再会したとき、彼をESTPタイプと分類できると思いました。 私は昔から読書好きで、椅子に座ってひたすら本を読むことが何よりの幸せでした。 でも母は「家から出て遊んできなさい」と言い、私は「外に出たくない」と返しました。母にとっては、外に出て経験を積むことが重要だったのです。 この対照的な関係は、さまざまな面で顕著でした。 私は美的感覚に興味を持っており、母はそれに全く関心がありませんでした。 私はお金を貯めて芸術作品を買い、自分の部屋に飾っていました。 抽象的で多色の作品を選ぶことが多かったですが、母は興味を示しませんでした。 幸いにも、素晴らしい大学教育を受ける機会を得て、家族や周囲の世界への理解を深める素晴らしい経験ができました。 タイプとの出会いは
2024年12月7日


